最近、私がはまっているブログの一つがNさんの運営する「大金持ちを目指して」というブログです。
何が面白いって、尖ってるんですよね、どの記事も。
よくあるコピペ的な思考によって作られた量産型なまとめ記事ではなくて、Nさん自身の考えが存分に入った記事ばかりでなところが読んでいて惹きつけられます。
この記事とか尖りすぎてて「こんなん書いていいの!?」と思いました(笑)。
私はチキンハートなのでやっぱりどこか無難な記事にしがちなので見習いたいところ。
そんなNさんのブログにあった、「投資家よ、強がりはよせ」という記事がなかなか面白いです。
ある投資家が「如何なる状況であっても淡々と投資するだけだ」と言っていた。
別に俺だってこの記事で「米国株への投資を辞めます」なんてことを言いたいわけじゃない。愚痴りながらも歯を食いしばって投資は続ける。
ただ暴落を経験したにも関わらず、あまりにも強がっているであろう投資家のツイートが散見したから、少しは俺みたいに心の弱い奴が声を上げてもいいだろうと思っただけだ。
「大金持ちを目指して – 投資家よ、強がりはよせ」より引用
これはまさにそうで、株が暴落するとよく見かける「株価が下がって損してるけど長期投資家だから買い増しチャンス到来で嬉しい!」なんていうツイートを書いていたとしても、本当に能天気に喜んでいる人なんていなくて、実際には日々減っていく含み益と拡大していく含み損を見ながら気が気でない思いをしているはずです。
この強がりツイートの意味ってあるんでしょうか?
私は自分の投資行動を律するための宣言として有効なのかなと感じてます。
例えば長期投資家の場合、株を少しでも勉強していれば、大暴落が起きたときに積極的に買い向かっていった投資家の多くがその後の株価回復で大成功を収めているという過去のデータを知っています。
つまり、教科書的に言うと長期投資家にとって、株価の暴落は買い場であって、喜ぶべき状況です。
真の長期投資家であれば、暴落時にこそ吐き気を催そうが何だろうが優良株を買い増し続けるべきです。損切りなんてもってのほか。
でもそれを黙ってもくもくとやるのはあまりにも辛いし弱気な発言をしながらするのもあまりにも辛い。だって本心は不安で不安でしょうがないんだもの。
だからこそ、「株価が下がって損してるけど長期投資家だから買い増しチャンス到来で嬉しい!」という発言は、強がりによって作られた発言かもしれませんが、「いいか?俺は買うぞ!買っちゃうぞ!?」と世の中に宣言して投資家としてのルールを全うする糧にでもなっていると感じるわけです。
株ブログから強がりをなくしたら辛すぎる
株ブログの多くで公開されている取引記録記事も同じです。
私も毎月個別株の取引記録記事を全部ブログで公開してさらしています。
私の取引記録記事でも強がりは正直結構入っています。
というか、強がりなしで書き続けるのは辛いです。強がりを入れられるからこそなんとか毎月取引記録記事を公開することを続けられています。
正直な話をすると、これをはじめたのって2017年の株価が好調に上がっていた時で、順調に資産も増えていたから気が大きくなって公開し始めた気がするんですよ。
株価が好調に上がっている間は取引記録を公開するのも苦ではなくてスラスラと記事も書けるわけです、どや顔しながら(笑)。
それが一転2018年に入って株価も不安定になると、もう取引記録を公開するのが憂鬱ですよ!
先月のくそみたいな取引記録も公開しなきゃいけませんから(笑)。
途中で公開をやめたり取引記録の内容をぼかし始めて、「あれ、こいつ取引記録を出さなくなったってことは投資失敗し始めたんだな?」とか思われたら悔しいじゃないですか?それが当たっているとしても。
だから、強がりながらも公開を続けています。
強がりでも発信を続けることでパフォーマンスが上がると信じてる
そういう強がり込みで取引記録を公開し続けていると、「自分ルールの縛り・遵守」っていうのが強くなっていくのを感じます。
取引記録を公開するっていうのはイコール自分ルールを守り続けているのかどうか、を公開していることに等しいですから。下手な取引はできません。
そこまでして自分ルールを守り続ける意味があるのか?っていうのはありますし、私が作った自分ルールを守り続ければ絶対に投資で成功するのかは分かりません。
でも、様々な過去の手法をもとに作った「私の私による私のための投資ルール」であって現時点では最善と思っているルールなので、それを守らない理由がありません。
なので、どんなにダメダメな株取引をやらかしたとしても、取引記録の公開はやめないでおこうと思います。
でも、強がっていないと書き続けることなんてできないから、これからも「あーこいつ強がってんなぁ。」と思っても温かく見守ってください。
そして、強がってでもいいからみんな自分をどんどんさらけ出していくと良いと思うよ、っていう話。